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 ――ライフ・ログ・アウト (つづきのつづき)

 防音壁を突き抜けてまで聞こえてきた絶叫。そのシチュエーションに気付いた瞬間、僕は鋼鉄製のドアを力いっぱい開け放った。くぐもった衝突音が聞こえる中、久我峰はチーズ入りのバスケットを床にぶちまけたまま、ぺたりと座り込んでいた。震えていた。それが、怒りによるものか、恐怖によるものか、詮索することに意味はない。奥歯を噛みしめて、必死に自分の両肩を抱き締め、久我峰透は自身の感情と戦っている。こんな状態を作れるとしたら、可能性は1つしかない。僕は、自らの頬を3度張って、全ての意志力を集中し、笑顔を作った。「おいおい、どうしたんだよ久我峰――」振り返る。顔色は最悪だ。リハーサルの数分の1も魅力が出ていない。「お見舞いに来たんだろ? 何1人でずっこけてるんだよ」散乱したチーズをバスケットの中に戻し入れ、目だけで促す。久我峰は、恐らく絶望的な気持ちで頷くと、ゆっくりと、本当にゆっくりと立ち上がり始めた。僕はこの時点で、先に入室しなかったことを悔やんだ。こいつは、実のところ精神的にそこまで強い訳じゃない。絶対的な能力を駆使して始めた最初の計画が、今の「友達作り」だったと言うことからも予想できるように、久我峰は強者であるが支配者には徹底的に向かない。残酷な一面を見せることもあるが、それは子供じみた主観がそう重なる場合があるだけで、その精神性は彼らの中で最も幼いと言っても過言ではなかった。それをサポートするための「友達」。それゆえに選ばれた『代理人』。苦い感情が胸に詰まる。「そう、ね」やっとの思いで立ち上がった久我峰は、力無い笑顔で振り向くと、震える手でバスケットを受け取った。「ちょっと、びっくりしちゃって……。起こしてなきゃ良いけど」パーテーションに手を掛けながら、僕の目に訴えかける。……覚悟は良いか。頷くと、数秒の間を置いて、白いカーテンが開け放たれる。「…………、う」空白が、頭の中に湧いて。それを理解しようと、もがいて。数秒後、それを諦める自分が居た。傍観する。観察なんて言葉は、この心理状態からひねり出せない。まず、木乃葉在良は眠っていた。目を閉じて、穏やかな顔で、息をしていた。酸素マスクなどの処置はしていない。懸念していた傷も見当たらなかった。そして、久我峰が――おそらく最大の勇気を振り絞っただろう――シーツをめくった先には、およそ10㎝にも満たない……身体があった。イメージとしては、球根に近い。喉の直下にあたる部分が拍動していて、そこに心臓があるのだと推測できる。そして、そこから伸びた肌色の枝が、ゴム手袋を膨らませたときのように、ぴくぴくと動いている。いや……婉曲に言っても仕方ない、のか。要するに、木乃葉在良は、生首の下に、自身の右手を生やした状態で、生きていた。手の平を上にした状態で、グーとパーの境目を、迷ったように逡巡しながら、行き来している。イラストに直せば、多分コミカルな部類に入る図が出来上がるんだろう。でも。しかし。それが存在感を持って生きているというリアルを、どう伝えればいいのか解らない。「……ん、」呻き声は、視線の先の彼女から聞こえた。ゆっくりとまぶたが開き、四肢の代替品である五指がわきわきと蠢く。「このは」久我峰が呼ぶと、それは目を四方に回転させてから僕たちを視界に入れ、笑った。

 「ますたー」

 ……それは。にこ、という表現がぴったりの、今日初めて見る、一点の曇りもない、純粋無垢で、間違いなく百点満点な、最高の笑顔だったと。僕は認識する。自慢のハスキーボイスは失われず、艶やかなショートカットもそのままで、彼女は、呆れるほど遠くに、純化してしまった。顔が、自然に笑みを作っていくのが解った。涙が、とめどなく流れた。出来損ないの水道管のようにダラダラと、ダラダラと。心の中で、意味も分からず喝采をあげる自分が居た。この時、僕は間違いなく発狂したのだと思う。勝手に暴れ出さないのが、唯一の救いだった。「ますたー」呟く彼女を、そっと撫でる、久我峰の指。その表情は、抜け落ちたように優しい。両手で包み込むような愛撫を受けて、稀代の能力者、物質透過と再構成を操る誘拐魔、木乃葉在良は微睡んでいた。身体と精神の大半を失い、漂白され、残饗するだけの儚い命を保ったまま、それでも生きて――、生かされていた。

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